加藤じろう直営!「語りべ」通信
 
2022.01.14
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2006.03.07
帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ企画<12>
〜「語りべ」からのお知らせ〜
この記事は、バックスファンクラブのオフィシャルメールマガジン、
帰ってきた!「語りべ」通信・第25号 とのコラボ企画です。
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日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

今季限りでの現役引退を表明していた、日光バックスのショーン・ポディーン選手が、
昨日、アメリカへ帰国しました。

ポディーン選手にとって、現役生活最後の試合となったのは、
5日に行われた、全日本選手権の3位決定戦。
現役生活にピリオドを打ったショーン・ポディーン選手
第3ピリオド残り1分半を切ったところで、シフトされたポディーン選手は、
ホイッスルが鳴ってゲームが止まり、他の選手が、チェンジをしていても、
ベンチに戻る素振りを全く見せずに、
試合終了を告げるホーンが鳴るまで、リンク上でプレー。
最後は、力なくフェンス際を転がっていたパックを、無言で拾い上げて、
現役生活にピリオドを打ちました。

アメリカのミネソタ州ロチェスターで生まれ、
5歳の時からスティックを握っていたという、ポディーン選手。

地元の大学を卒業後、AHLでのマイナー生活を経たのち、
エドモントン オイラーズでNHLデビュー。
その後、フィラディル フィアフライヤーズ、コロラド アバランチ、セントルイス ブルースと渡り歩いて、
11年間で通算699試合に出場し、100ゴール106アシストをマーク。

さらに、スウェーデンの2部リーグのチーム、ヴァクワ レイカーズでも2年間プレーした後、
今季から袖を通したバックスのジャージで迎えた38歳の誕生日が、
彼の長い現役選手生活最後の日となりました。

「プロ生活での一番の思い出は、もちろんスタンレーカップを獲得したことだ」
とポディーン選手自身が口にしたように、
今から5季前の2000−01シーズンには、コロラドの一員として、NHLで優勝。

その一方で、同じ年に、
「とても珍しい病気に侵されていた兄妹に出会った時、
自分のような幸運な人生をスタートさせられなかった子供たちに、
もっと何かしてあげるべきだと思った」ことを機に始めた、
恵まれない子供たちを助ける活動を、長年続けていることなどが評価され、
社会福祉や地域活動に最も貢献した選手に与えられる、
キング・クランシー・メモリアル賞を受賞。
キング・クランシー・メモリアル・トロフィーに名前が!
スタンレーカップとともに、
キング・クランシー・トロフィーには、
栄光の証しとして、
「ショーン・ポディーン」の名前が、しっかりと刻まれています。


日本でプレーしたのは、わずか1年だけでしたが、
リンクの上だけに限らず、これまでの様々な経験で得た、ありとあらゆるアドバイスを、
周りに与えて続けていたポディーン選手。

試合後には、そんな彼との別れを惜しんで、涙を流していたチームメイトの姿が、
バックスのドレッシングルームで見られたのは、もちろんのこと、
他のチームの選手たちからも、握手や写真を求められたりしていたほどでした。

実は、何を隠そう「語りべ」にも、ポディーン選手からアドバイスをされて、
とても印象に残っているシーンがあります。

丁度、アジアリーグの開幕から1ヶ月が過ぎようとしていた頃、
バックスが中国遠征の最後の訪問地、北京に来ていた時のこと。

遠征費にも制約があるバックスの宿舎は、
当時の試合会場である首都体育館の、すぐ裏にある古めかしいホテル。
中に入ると照明も薄暗く、お世辞にも、いいホテルだとは言えないところ。
さらに、そこから夕食に向かったお店も、決してキレイだとは言い難い中華料理店。

こぢんまりとした、そのお店は、もっぱら地元の人だけしか足を運ばないため、
当然、英語のメニューがないどころか、お手洗いでさえ、
「店を出たら右に行ったところにある、近くの公園にあるよ」
と言われるほどの、まさに庶民的なお店でした。

チーム専用機やチャーター機で快適に移動して、豪華なホテルで、おいしいディナーに舌鼓。
というような選手生活を、長く送っていたはずのポディーン選手だけに、
「これで大丈夫なのかな?」と、思わず心配をしていたのですが、
当のポディーン選手は、
「うん、うまい!」と言いながら、ビールを片手に、次々と料理を平らげていました。

そんな姿を正面に見て、今一つ釈然としない気持ちだった「語りべ」は、
たまたま同席していた若林弘紀コーチが、席を外した時に、
ポディーン選手に、その気持ちを伝えると、
彼の口からは、こんな言葉が返ってきました。

人生は楽しまなければダメなんだ!

その言葉がウソではない証拠に、リンクの外のポディーン選手からは、
試合中の真剣な眼差しとは違って、
「オレは人生を楽しんでいるんだぞ!」
と言わんばかりの笑顔が、シーズンを通して、いつも見られました。

そして、ポディーン選手の口からは、
続けて、さらにもう一つ、こんな言葉も飛び出してきました。

ファミリーを大切にしろ!

外国人は家族を大切にする。
とよく耳にしていましたが、ポディーン選手は、まさにその代表格。

奥様のシェリーさんと、愛娘のアンナちゃんの来日前は、いつも国際電話を掛けていましたが、
その時の表情は、長年NHLで戦った氷上の戦士とは、とても思えないほど。
特に、アンナちゃんと話している時のポディーン選手は、
ただの親バカ(失礼!)としか表現できないほどでした(笑)

しかし、それからシーズンが進んで行く中で、ポディーン選手の言動を見続けていると、
彼の言葉の意味深さを痛感。

自分の家族だけではなく、チームや、チームメイト、
さらに、アジアのホッケーをサポートし続けていたことでも分かるように、
ポディーン選手が口にした、「ファミリー」という言葉には、実に多くのものが含まれているのでした。

ポディーン選手の引退は、残念な限りですが、
彼が残していった、数多くの “財産” は、
これからきっと、バックスや、アジアのホッケー界で生きてくるに違いありません。

まさに、「大将」という言葉がピッタリ当てはまるほどの存在感を見せていたポディーン選手に、
最後に、こんな言葉を送りたいと思います。

「Thank you Shjon !!」

        ポディーン一家
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2006.02.24
帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ企画<11>
〜「語りべ」からのお知らせ〜
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帰ってきた!「語りべ」通信・第23+24合併号/プレーオフ大特集!
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日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

前身の古河電工時代を通じて、チーム史上初のプレーオフを果たした日光バックスでしたが、
ファーストラウンドで、昨季の覇者コクドの前に3連敗。

しかし、そんな中で、
2試合連続ゴールをゲットしたのに加えて、積極的なチェックを披露するなど、
#11高橋一馬選手の元気なプレーが、印象的でした。

大学4年生の時に出場したユニバシアードで、じん帯を断裂したりと、
学生時代からケガに泣かされることが多かった一馬選手。
それだけに、試合の前後には、いつも入念にストレッチをしている姿が見られます。

ただ、やはりそれでも試合や遠征が続くと、
疲労の蓄積から、プレーに影響が出てしまうこともあるそうで、
年末に行われた釧路でのクレインズ戦の時は、
「足が動かなくて大変でした」というほどの状態だったそうです。

しかし、そんな時でも弱音を吐かず、
常に豊富な運動量を発揮して、プレーし続けていた今季の一馬選手は、
5年目にして初めての、レギュラーリーグ フル出場。

しかも、昨季までの(日本リーグとアジアリーグの)通算ポイントと、ほぼ同じだけの数字を、
今季だけでマークしたのに加えて、
ペナルティキリングにもシフトされるなど、攻守両面でフル回転。

まさに、「チームのMVP!」と呼んでも過言ではないほどの活躍ぶりでした。

西武鉄道時代に、2回プレーオフに出場して、4試合プレーした経験があるものの、
第4セットの登録で、アイスタイムもほとんどなかったため、
「今回が初めてのプレーオフみたいなものですね」
と言って臨んだ、コクドとのファーストラウンド。

一馬選手と同じく15ゴールをマークした、チーム得点王の#26クリス・パラダイス選手が、
身内の不幸のため帰国して不在の中、チームの得点源として活躍したのとともに、
プレーオフでも、ペナルティキリングや、一番手のチェッカーの役割を担うなど、
攻守両面でチームに大きく貢献。

残念ながら、3連敗を喫してしまって、
「東伏見まで応援に来てくれたファンのためにも、日光で試合をやりたかった」
と他のチームメイトと同様に、悔しさをにじませていましたが、
その一方で、
「昔の仲間と真剣勝負ができたし、選手としては、プレーオフを楽しめました」
という言葉も聞かれたように、
一馬選手の表情からは、ホッケープレーヤーとしての満足感が漂っていました。

第3戦終了後には、敗れた悔しさはあるものの、
かつて一緒に戦った西武時代のチームメイトたちから、ねぎらいの声をかけられると、
それに笑顔を返していましたが、
そろそろリンクをあとにしようとしていた、まさにその時、
ある女性から声をかけられて、この日、一番の笑顔を見せていました。

その相手とは、リンクの裏にあるコクドホッケー部の寮に勤めている、
斉藤官子(ひろこ)さんです。

息子の竜志さん(現法政大学監督)が西武入りしたのを機に、
苫小牧から上京して、東伏見のホッケー寮で選手たちの世話をするようになった斉藤さん。
チームはコクドに変わっても、
選手たちから「お母さん」と呼ばれ続けて、間もなく20年目のシーズンを迎えようとしています。

東京の “お母さん” と2ショット!「頑張ってるわね。
西武でプレーしていた選手のことは、いつも気にしているのよ」
と斉藤さんに声をかけられて、
本当に、うれしそうな表情を見せていた一馬選手は、
最後に、こんな言葉を斉藤さんに返していました。

「お母さん、寮に行ったら、またご飯を食べさせてください!」

レギュラーシーズンでは、初めてのフル出場。
しかも、初めての2ケタゴール。
そして、初めてチームの主力選手として臨んだプレーオフ。

「もっとレベルアップしていかないと」
よくこんな言葉を口にしている一馬選手にとって、
今季のアジアリーグは、さらなるレベルアップへの糧となったに違いありません。

バックスにとって、今季、最後の公式戦となる全日本選手権でも、チームに貢献して、
一馬選手が、“お母さん” の料理を食べながら、充実した今季の報告をする姿が、
シーズンオフには、もしかしたら見られるかもしれません。
帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ | comments(2) | trackbacks(0)
2006.02.14
帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ企画<10>
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日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

一昨日閉幕した「長野カップ」で、見事に2連覇を達成した日本代表。
今回のメンバーは、2010年のバンクーバーオリンピックを視野に入れ、
現役大学生6人を含め、実に13選手が25歳以下と、フレッシュな顔ぶれが目立ちましたが、
その中で、ピカイチの活躍を見せたのが、飯村喜則選手(日光バックス)です!
飯村喜則選手
飯村選手が、シニアの日本代表に選ばれたのは、
昨年の4月に行われた世界選手権代表候補合宿に続いて、今回が2回目。

しかし前回は、トライアウトを兼ねて行われた代表候補合宿で、
実力を発揮することができずに、
日の丸のジャージに袖を通せませんでした。

「もっとできると思ったんですけど、
息は上がっちゃうし、足は動かないし、ボクのコンディショニング ミスです」

飯村選手自身が、こう振り返ったように、
他の実業団3チームと違って、バックスはプレーオフに進むことができなかったために練習場所がなく、
わざわざ東京まで足を運んで、アイスタイムを求めたものの、
なかなか満足な調整ができずに、「すごく悔しい思いをした」のだそうです。

そんな苦い経験もあっただけに、今回の代表入りに際して飯村選手は、
「とにかく結果を残して、アピールしないと!」
との強い意気込みを持って、試合に臨みました。

その甲斐あって飯村選手は、プレゲームとなった「チャレンジカップ」で先制ゴールをゲット。
第4セットに起用され、シフトは少なかったものの、
「ボクたちのラインは、調子がいいですよ」と笑顔を見せたように、
好調モードで、長野カップへ突入し、
初戦のフランクフルト・ライオンズ戦では、
何度も相手ゴールを脅かすなど、飯村選手はオフェンス面でチームに貢献。

マーク・マホン日本代表監督の口からも、
「活躍度は、チームでトップ3に入る」との言葉が飛び出したほどだったのですが、
飯村選手は、「チャンスはあったんですけど、決められませんでした。
結果を出して、アピールしていかないと」と話し、
自らのプレーに、決して合格点をつけることはありませんでした。
飯村喜則選手
しかし飯村選手は、優勝を懸けた翌日のデンマーク代表との試合で、
鮮やかな同点ゴールをゲット!

デンマークに2点を先行され、
イヤなムードが漂っていたビッグハットの雰囲気を一変させた、
飯村選手の値千金のゴールで、試合の流れを押し戻した日本は、
第3ピリオドに、5人対3人のパワープレーで決勝点を挙げて、
長野カップV2を達成しました。

「もしも決勝点をゲットしたら大会MVP」との声が出たほどの、この日の活躍には、
さすがに飯村選手も、試合後は持ち前の “貴公子スマイル” でニッコリ!

「体力面では、まだ課題が残るけれど、
プレーや気持ちの面では、素晴らしいものを見せてくれた」と、
マホン監督が高く評価したように、
今回の長野カップで、飯村選手は、しっかりアピールすることができたようです。

長野カップ終了後、チームメイトの春名真仁選手とともに、日光へと戻った飯村選手。
今度は、バックスで活躍して、東伏見にゲームスカウティングに来る予定のマホン監督に、
さらなるアピールをしたいところ。

チームの勝利と、昨季、惜しくも逃してしまった世界選手権代表の座を目指して、
飯村選手が、16日から始まるプレーオフで、どんなプレーを見せてくれるか楽しみです!

photos by TAKAYUKI HIDAKA


★本日の小ネタは…
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帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ | comments(6) | trackbacks(0)
2006.02.01
帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ企画<9>
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日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

今季は、9月24日の開幕戦を皮切りに、
東伏見や札幌、さらに、長野と日光で、
「語りべ」が実況を担当する、アジアリーグの場内FMがオンエアされました。

両チームにとってレギュラーリーグ最終戦となる、
1月22日の、バックス対コクドの試合でも、
霧降アイスアリーナでは3試合目となる、場内FMがオンエア!

前回、1月4日、5日に行われたチチハル戦では、プレーヤーズゲストとして、
バックスの#29池田豊選手が、放送席に来てくれましたが、
1月22日は「レギュラーリーグ最終戦スペシャル!」ということで、、、

12月の日光シリーズでミニライブも行った、自称「超バックスファン」の、サイコのお二人や、
レディオベリーの梅原朋子アナウンサーと、
栃木放送の松井里恵アナウンサーといった、
いつも熱心に取材している、美貌がウリの (!?) 女子アナコンビに、
放送席まで来てもらったのに加えて、加藤さんご夫妻
バックスファン代表として、福島県いわき市にお住まいの、
加藤信治(のぶはる)さんと、陽子さんご夫妻にも、
ゲスト出演していただきました。

2000人のファンが詰めかけ、満員となったスタンドから、
このお二人に白羽の矢を立てさせてもらったのは、
実は、このお二人が、バックスが縁で知り合った新婚さんだからです!

元々、学生時代からホッケーを見ていたという信治さんが、
大学時代の先輩に、バックスの試合を見に行こうと誘ったところ、
知人の陽子さんも、一緒に霧降アイスアリーナに行くことに。

栃木市に住んでいたということで、
「バックスのことは知っていたんですけど」という陽子さんでしたが、
リンクに足を運ぶのは、その時が初めて。

しかし、ホッケーのおもしろさに「一目ぼれ」してしまった陽子さんは、
その後も、霧降アイスアリーナに足を運ぶようになり、
熱く激しい(?)応援スタイルが共通していたこともあって、意気投合!
いわき市と栃木市という “プチ遠距離恋愛” を実らせて、昨年の12月に入籍されました。

そんなお二人だけに、新婚旅行は、神戸と日光でのバックス観戦ツアー!

神戸最終戦のあとに行われた、「選手とファンの懇親パーティー」で、
ショーン・ポディーン選手ら、出席者全員から祝福されたのに加えて、
日光では、場内FMに出演していただき、
「いい思い出ができました」と喜んでくださいました。

場内FMでは、お二人とも、熱心なバックスファンとあって、熱いコメントを連発!

特に信治さんは、
「(場内FM出演に)少し舞い上がってしまったことと、
バックスが劣勢だったこともあって、口数が減ってしまいました」
と苦笑いしていたものの、
「氷上結婚式の権利を販売したら、チームの収入にもなるし、
家族もいっぱいチケットを買って見に来るから、いいアイディアと思うんですけど」
などなど、次々とアイディアが飛び出してきて、
バックスへの熱い思いを垣間見せてくれました。

対して陽子さんは、
「今季のバックスは、プレーオフを勝ち上がれるだけの力があるはず」
と選手にエールを送っていました。

こんな最も幸せなバックスファンの熱い思いが、選手たちに届くでしょうか?

プレーオフ・ファーストラウンドは、16日に開幕します。

★本日の小ネタは…
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帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ | comments(2) | trackbacks(0)
2006.01.25
帰ってきた!「語りべ」通信・コラボ企画<8>
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日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

バックスのサブホームタウン・神戸での今季最終戦が、20日に行われ、
ポートアイランドスポーツセンターのスタンドには、
平日のナイトゲームにもかかわらず、数多くのファンが詰め掛けました。

オリックス バファローズ 萩原淳投手そんな大勢のバックスファンの中に、
150キロを超える速球を武器に、
オリックスバファローズのセットアッパーとして活躍中の、
#42萩原淳投手の姿がありました。

知人の方に誘われて、
昨年11月26日の、バックス−バイキングス戦を観戦したのに続いて、
今回が2回目の観戦となった、萩原投手。

「(ホッケーは)絶対、おもしろい!」
と断言するように、すっかりホッケーにハマっている様子。

今回の試合でも、
「試合を見ていると、ついつい熱くなって、
こら! そこの○番(背番号)、何してるんやっ! って怒鳴ってましたね(笑)」
というほどだったとか。

オリックス バファローズ 萩原淳投手しかし、そんな熱い応援ぶりとは一変して、
さすがプロ! と思わせる一面も。

萩原投手が応援に来ていると聞いた「語りべ」が、
インターミッション中に、ファンの人たちにアナウンスをすると、
「うわっ! オレ呼ばれてるわ」と、少し照れくさそうにしながらも、
立ち上がって、声援に応えてくれたり、
試合後に行われた、選手とファンとの懇親パーティーでも、
「ただのファンとして来ました」と言いながら、
バックスファンの人からのサイン攻めにも、快く応じていました。

オリックスに入団して、今季が15年目となり、
すっかり関西弁も板についた萩原投手ですが、
元々は、東京都保谷市(現西東京市)の出身。

中学時代に、地元の保谷リトルシニアリーグで、
昨季、世界一に輝いた、井口資仁選手(シカゴホワイトソックス)の、
一学年先輩としてプレーしていたことは、
これまで何度か、スポーツ新聞などでも紹介されたことがありますが、
実は、あまり知られていないのが、家が近かったので、
「東伏見のリンクに、よく行きました」ということ。

小さい時は、日本リーグの試合を見に行ったり、
「ちょっとかじった程度」だと言うものの、
ホッケーをしたことも、あるのだそうです。

「ボクが学生時代に一番憧れていた選手」という清原和博選手も移籍して、
一気に注目度がアップした、今季のバファローズ。

萩原投手が、スポーツニュースや新聞に登場する機会も増えそうです。

「ホッケーを見ると、こっちがエネルギーをもらえるんですよ」
と話していた萩原投手が、どんな活躍を見せてくれるのか、
ホッケーファンの方も、ぜひ注目してください!

★本日の小ネタは…
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