加藤じろう直営!「語りべ」通信
 
2022.01.14
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2012.11.12
Team JAPAN did a Great Job !!!!!
日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

日光霧降アイスアリーナで開催されていた「ソチオリンピック男子一次予選」は、
昨夜の試合をもって、全日程が終了しました。

皆さんもご存知のとおり、3位に終わってしまった日本は、
残念ながら出場権を獲得できませんでしたが、
最終戦終了後、スタンドのファンからは、健闘を称える大きな拍手が送られました。


日本の戦いについては、既に多くのところで伝えられていますので、
「語りべ」通信では、趣を異にして、すっかりご無沙汰の(汗)
“LOVE HOCKEYな人たち” シリーズ vol.12 と銘打って、
男子日本代表に勝るとも劣らぬ大健闘で大会を支えた、もう一つの日本代表を紹介します。

それは、オフィシャル フォトグラファー の大役を担った皆さんです!


日光まで足を運べなかった皆さんや、
観戦されたあとに、詳しい結果をチェックされた方の多くは、
国際アイスホッケー連盟(IIHF)のオフィシャルサイトを、ご覧になったでしょうが、
全試合の結果や各データなどともに掲載されているフォトギャラリーや、
レビュー記事の写真を撮影されたのが、こちらの ↓ お三方です!

       Seinosuke Uchigasaki, Yoshimitsu Yamanaka and Masayoshi Kobayashi (from R)


まず向かって右側で、笑顔を見せて下さっているのが、
内ヶ崎誠之助 (うちがさき せいのすけ) 氏。

昔からホッケーを応援されているファンの人には、お馴染みでしょうが、
「アイスホッケーマガジン」誌では、
表紙を飾るなど、メインの写真を撮影されていたのとともに、記事やエッセイも執筆。

また、外国人選手が再解禁された「第30回 ・日本リーグ」以降、
今季の「アジアリーグ」に至るまで、
オフィシャルプログラムの責任編集者としても、ご活躍中です。


カナダをベースに撮影と取材をされていらっしゃる内ヶ崎氏は、
NHLをはじめ、世界のホッケー事情にも精通されていますが、
ホッケーのみならず、様々なスポーツの現場を見続け、
「オリンピック」やサッカーの「ワールドカップ」といった、
ビッグイベントも、長年にわたり撮影されています。

世界中で撮影をしてきた豊富なキャリアは、まさにスゴイ! の一言で、
先日「語りべ」も、サッカーの撮影で訪れた南米での移動の話などを、
楽しく聞かせてもらいました。



続いて、中央に写っているのは、山中美光 (よしみつ)氏。

同期生だった星野好男氏(元国土計画CF オリンピック3大会出場)の、
プレー写真を撮り始めたのをキッカケに、
ホッケーの撮影に、のめり込んでいったという山中氏は、
ご当地の日光で、写真館を営みながら、古河電工の試合を撮影。

その写真からは、“ホッケー愛” と “古河愛” が、にじみ出ていて、
「山中さんに撮ってもらうと、格好良く見えるんですよ!」
と当時の選手たちが、口を揃えていたほどでした。


1999年にチームが活動停止になった際には、
「古河電工よ、永遠に…」 のメモリアルビデオが販売され、、、

   Furukawa Memorial Video


「語りべ」も企画・制作や、ナレーションに携わりましたが、
約90分に及ぶ本編の中で、
“日光のアイスホッケーの母” と選手たちから呼ばれていた 菱沼弘子 氏とともに、
チームに所属した人以外で出演していただいた、二人のうちの一人。

現在は場所を移して フォトスタジオ和楽 のオーナーカメラマンであるとともに、
アイスバックスのオフィシャルフォトグラファーとしても、撮影を続けていらっしゃいます。



最後に、一番左にいらっしゃるのが、小林正芳 氏。

前出の山中氏のアシスタントを務めるなどして、腕を磨かれた小林氏は、
栃木県アイスホッケー連盟からの依頼を受けて、記録写真を撮影されているだけでなく、
スポーツ以外の各方面でも、腕前を披露されています。


にもかかわらず、とっっっても腰の低い方で、
「語りべ」ごときにまで、いつも気をつかってくださる、
心優しきフォトグラファー!(笑)

とは言っても、仕事に対しては厳しい方で、
今大会中には、車のクラッチが効かなくなってしまった!
というアクシデントが発生したにもかかわらず、
「代車の手配が間に合わなかった」と言って、
クラッチの効かない車で、宇都宮市内のご自宅から、霧降アリーナへ。

試合後には、宇都宮市内のホテルへ戻る「語りべ」を、
クラッチの効かないままの車に乗せて送ってくださった !!!
本当に心優しい方なのです〜(笑)



この三人が、どういう経緯で、オフィシャルカメラマンに任命されたのかと言うと、
まず、これまでも同様の役割を担われたことがある内ヶ崎氏へ、
大会を主管する日本アイスホッケー連盟(日ア連)から、オファーがあったそうです。

しかし、内ヶ崎氏は「日光で行われる大会なのだから」と言って、
山中氏と小林氏も、オフィシャルフォトグラファーに加えて欲しいとリクエスト。

日ア連からは、快諾を得たものの、、、
ギャランティーは一人分の予算のままだったため、
内ヶ崎氏は、自らの報酬を三等分。

逆に、日光市内にお住いの山中氏は、ホテル代の負担をなくすために、
内ヶ崎氏を自宅に招き、宿泊先を提供されたそうです。


こうして結成された “オフィシャルフォトグラファーのチームジャパン” は、
大会の二日前から、参加4ヶ国の集合写真を撮影する仕事から始動しましたが、
今度は、こちらの写真 ↓ を、ご覧ください。

    Media Working Room


写真は、一般滑走用の貸靴スペースを改装したメディアルームですが、
まず仕切りの壁の向こう側に写っているのは、メディアのワーキングスペース。

日本の試合が終了すると、右側奥に見える広告ボード前の逆向きになっているイスに、
マーク ・マホン ヘッドコーチと、対戦国の監督がやってきて、
記者会見が開かれます。


続いて、注目していただきたいのは、手前にある横に並んだ机。

いささか手狭な感じがするこの机が、
オフィシャルフォトグラファーの皆さんの仕事場所!

自らで撮影した福藤豊 選手の練習風景や、各国の集合写真の真下は、
パソコンやお菓子などで雑然としていますね。。。。
(あまり散らかっていないな時を見計らって撮影をしましたが…)


もっとも、それもやむなしなのです!

なぜなら、試合の撮影だけすれば、それでOKというわけでなく、
定められたフォーマットに直した写真に、キャプションやクレジットを記して、
ピリオド終了ごとに、大会のオフィシャルサイトへアップしていくのに加え、
IIHFが資料用に保管する写真もセレクトして、
ディスクに書き込む作業も行わなくてはならず、猫の手も借りたいほど大忙し!

大会期間中は、朝8時過ぎにはリンクへやってきて、
仕事を終えるのは、夜11時頃。

マホン ヘッドコーチは、
「(初戦の開始から)50時間で、3試合を戦わなくてはならないハードスケジュール」
だと会見で話していましたが、
オフィシャルフォトグラファーの皆さんは、「50時間のうち、40時間近く」ほどを、
紹介した仕事場所で、過ごしていらっしゃいました(苦笑)


その甲斐あって、あらためてオフィシャルサイトの Photo Galleryを見返すと、
オリンピックを目指した激しい戦いを、思い返させる写真ばかり!

IIHFが定めたインターナショナルブレイクには、日本の他にも、
男子は、ハンガリーと、ウクライナで。
女子も、中国と、ラトビアで。
それぞれ一次予選が開催され、Photo Gallery がアップされていますけれど、、、

同じようなポジションから撮影した写真だけだったり…。

IIHFが定めた「1試合につき10カット以上15カット以下」に満たされていなかったり…。

同様に定められた写真のキャプションやクレジットがなかったり…。


見比べてみると、日本のフォトギャラリーが、群を抜いていると思いませんか?

丁寧で質の高い仕事ぶりは、世界中から認められている日本ですが、
“オフィシャルフォトグラファーのチームジャパン” の素晴らしい仕事ぶりには、
ホッケーファンの皆さんも、何だかうれしい気持ちになってしまいますね!


内ヶ崎さん、山中さん、小林さん、「ご苦労さまでした !!」



〜「語りべ」より〜
大会期間中にも何度かあったそうですが、
IIHFのオフィシャルサイトのサーバーに不具合があり、
紹介したページや、写真が見られない時がある模様です。

見られない時は、お時間を置いたり日を改めてから、ご覧ください。





LOVE HOCKEYな人たち | comments(4) | trackbacks(0)
2010.01.15
LOVE HOCKEY な人たち<11> 佐藤弘一さん
日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

「語りべ」が出会ったホッケーを愛する人たちを紹介する、
LOVE HOCKEY な人たち” シリーズ。

ここのところ、しばらく お休みしていましたが…、満を持して、半年ぶりに お届けするのは、
前女子日本代表監督の 佐藤弘一(こういち)さんです!
        前女子日本代表監督・佐藤弘一さん

八戸育ちの佐藤さんは、地元の八戸商業高校から、明治大学へと進み、卒業後は雪印に入社。
FWとして、日本リーグで3年間プレーしました。

その後、八戸へ戻った佐藤さんは、仕事をしながら、女子日本代表の指導にあたり、
2005−06シーズンからは、監督(当時はヘッドコーチ)に就任。

2007年春に、日光で開催された世界選手権ディビジョン1では、見事に全勝優勝を飾り、
日本代表を、トップディビジョンへ昇格させましたが、
仕事との兼ね合いなどの影響で、大会終了後に勇退しました。

その後、ホッケーの最前線から離れていた時期もありましたが、
現在は、八戸テレビ のコメンテーターとして活躍中。
東北フリーブレイズのホームゲームや、地元で開催される全国大会の中継の解説と、
毎週オンエアしているアイスホッケー情報番組にも、ゲスト出演されています。

ところで、普段の佐藤さんは、八戸観光コンベンション協会 に、お勤めですが、
ここのところ、絶品の 前沖さば を筆頭とした豊富な海の幸や、
B級グルメの代表格の せんべい汁 が、人気を博しているところに、
吉永小百合さんが出演するCM の中で、
中心街にある新名所 みろく横丁 が紹介されていることも手伝って、“八戸ブーム” が到来!

そのため、テレビや雑誌の取材が殺到し、
窓口となっている佐藤さんは、朝から深夜まで、ロケハン(取材の下見)のナビゲートをしたり、
同僚の方と一緒に、休日返上で、観光イベントの運営をしたりと大忙し。

にもかかわらず佐藤さんは、時間の合間を縫って、
持ち前の明るいキャラクターを武器に、楽しいネタを、たくさん取材してきてくれるのに加えて、
(放送できないディープなネタが多いのが、たまにキズ !?)
仕事を通じて知り合った お店やホテルに、フリーブレイズのポスターの掲示を依頼するなどして、
八戸のホッケーを、サポートし続けています。

「念願のアジアリーグのチームが誕生したのですから、
観光だけじゃなくて、ホッケーでも、八戸を盛り上げていきたいと思っています」

こんな佐藤さんの願いがかなって、ホッケーでも “八戸ブーム” がやってくるといいですよね !!
  観光だけでなくホッケーでも八戸ブームがやってくることを願う佐藤弘一さん(左)

尚、明日と明後日に、新井田インドアリンクで行なわれる、
「フリーブレイズ vs アニャンハルラ」の試合も、
“LOVE HOCEY” な、佐藤さんの解説を交えて、
八戸テレビ で録画中継&場内FMで生放送される予定です! どうぞ、お楽しみに !!
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2009.06.25
LOVE HOCKEY な人たち<10> 情熱の研磨師
日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

前回の記事でも紹介したように、アイスホッケー界は、6月30日が年度末となります。

今季最大のニュースは、何といっても、SEIBUプリンスラビッツの活動終了
西武鉄道、コクド両チームの流れを引き継ぐ強豪チームの解散は、
ホッケーファンだけでなく、多くのスポーツファンにとって、衝撃的な知らせでした。

そのラビッツが、年度末を控えた昨日、長年使い続けてきたドレッシングルームの清掃を終えて、
これまでチームで管理していたカギを、アイスアリーナへ返却することに…。

吸収合併されてしまう以前の西武鉄道時代から、
アリーナ内の一番奥にあるホームチーム用のドレッシングルームで、ずっと仕事をし続けてきた、
栗林豊 イクイップメント マネージャー に、今の想いを綴ってもらいました


ついにアイスアリーナの控え室から退去する日が、やって来てしまいました。

11年間、東京にいる時は、ほとんどの時間を過ごしてきた第二の我が家。

家族との時間を過ごすために、
選手が帰った後の控え室で、子供たちを遊ばせながら研磨をしたこともありました。
妻が差し入れてくれたお弁当を、家族四人で一緒に食べたこともありました。


選手の想いがつまっている空になったロッカーは、
どれも同じように見えるけれど、ボクには全部違って見えました。
一つずつロッカーを掃除をしていく時に、歴代の選手たちの顔が浮かんできました。

チームという、もう一つの家族にとって、
かけがえのない我が家を去るのは、本当につらかったです。

いつかまた、ここにみんなで集まれたら・・・

でも、みんなここから、新たな一歩を踏み出していかないといけませんね ──
       ほとんどの時間を過ごしてきた第二の我が家

そんな中、ボクの大切なパートナーが、昨日から新たな一歩を踏み出しました!
ずっと選手たちを支えてきてくれた研磨機くんです。

320キロもある巨体の彼は、選手たちに丁寧に運び出されて、
アイスホッケーショップMAXで、セカンドライフをスタートしました。

これからは学生さんたちや、子供たちのスケート靴を、研いでいくことになりました。
自分のこと以上に心配していたので、
買い取っていただいた MAX のみなさんには、心から感謝しています。

       ガンバレ!研磨機くん。
       さようなら! 研磨機くん。
       そして、ありがとう !! 研磨機くん。

       これからも、時々会いに行っても良いですか?    栗林 豊
        ずっと選手たちを支えてきてくれた研磨機くん

アイスホッケーに携わりたい!
という強い気持ちから、あえて、ご家族とは異なるスポーツの世界を選んだ栗林さんは、
いつも、誰よりも最初にリンクへやってきて、
そして、誰よりも最後までリンクに残って、
選手たちが最高の条件でプレーできるように、ずっと働き続けていました。

NHLのチームで働いてみないか?

こんな魅力的な誘いを受けた時でさえ、
「まだ恩返しをしていないから」と言って、断ってしまったほど、
栗林さんは、誰よりも、チームとチームメイトたちを、愛し続けてきたのです。

今から6年前の春。
廃部が決定していた西武鉄道は、最後のプレーオフを戦うにあたって、
全員の気持ちを、チームの旗に書き記しました。
   戦友たちの想い

“戦友” たちの想いを一つにした旗の右上に、栗林さんが記した言葉は ──
情熱の研磨士

「心で研いで 魂で磨く

       情熱の研磨師」

──────────────────────────────────────────

自らの言葉どおり、チームに、そしてホッケーに、情熱を注ぎ続けてきた栗林さんでしたが、
ラビッツの解散をもって、社業に就く予定だそうです。

「これからは応援する側に回ります」と言って笑顔を見せた “情熱の研磨師” の今までの足跡に、
心から、大きな拍手を送りたいと思います!
        プロ選手からの信頼も厚かった栗林豊さん(写真右)
◆special thanks to YUTAKA KURIBAYASHI
LOVE HOCKEYな人たち | comments(13) | trackbacks(0)
2006.12.29
LOVE HOCKEYな人たち<9>信田憲司さん
日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

先日の記事で、リンクに登場したサンタクロースを紹介しましたが、
今年のクリスマスシーズンに、サンタクロースが登場したのは、
アジアリーグの試合で盛り上がった、月寒体育館だけではありません。

試合が行われていない新横浜プリンスホテルスケートセンターにも、
サンタクロースが登場しました!

サンタクロースの衣装を着て練習に登場した信田憲司さん手にはスティックを持って、
首からホイッスルをぶら下げたサンタクロースの正体は、
ナント! かつて日本代表のGKとして活躍した、
信田憲司 さんです !!

苫小牧東高校卒業後に、
プリンスラビッツの前身・ 国土計画に入社した信田さんでしたが、
当時の国土には、岩本武志(現プリンスラビッツ部長)選手や、
宮崎昌広(元明治大学コーチ)選手という、
力のある先輩GKが揃っていたために、
なかなか試合出場のチャンスに、恵まれませんでした。

しかし、常に厳しい練習を怠らなかった努力が実を結び、
入社11年目になって、守護神の座を勝ち取ると、
その年のオフには日本代表にも選ばれ、一気に存在をアピール。

その後、35歳までプレーしたのち、コーチに転身。
チームジャパンのアシスタントコーチや、女子代表監督など、
トップレベルの指導はもちろん、
慶応義塾大学をはじめとする学生や、
あまりホッケーが盛んではない 兵庫県国体チームの指導など、
幅広く指導にあたり、ホッケーの普及と発展に尽力されています。

そんな信田さんが、現在、コーチをしているのが、
かつてのホームリンクだった、
新横浜プリンスホテルスケートセンターのジュニアチーム。

中学生と高校生のチームを指導している信田さんは、
「子供たちを飽きさせないために、時には目新しいことをしてあげないと」
と話して、職場にあったサンタクロースの衣装を着て、中学生チームの練習に登場。
子供たちの笑顔を誘っていました!
    “信田サンタさん”と一緒にニッコリ

日本リーグや、NHL中継の解説者として、
「語りべ」は、以前から一緒に仕事をさせてもらう機会が多いのですが、
放送の合間に、信田さんと話しをしていると、
熱いホッケートークが止まりません!

ここ数年は、コーチとして活躍中とあって、
日本のホッケー界が、レベルアップしていくための思いは、もちろんのこと、
「リンクの中に、連盟の事務所だけでなく、
これまでの歴史を展示しているコーナーがあったり、飲食店があったりして、
そこに行けば、誰か必ずホッケーファンがいるような、聖地が欲しいですよね。
ロト6が当たったら、そんなリンクを作っちゃうんだけどなぁ(笑)」
という夢まで語ってくれるように、
信田さんは、常にホッケーと、ホッケーに携わる人たちのことを考えている、
まさに、「LOVE HO C KEYな人」なのです!

「コーチをしていて一番楽しいのは、
それまでできなかったプレーが、できるようになった時に、
選手が、うれしそうな表情を見せる時ですね」

コーチの魅力を、こう話してくれた信田さんは、
日本のホッケーを盛り上げるために、
来年も、頑張ってくれるに違いありません!

★本日の小ネタは…
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2006.07.18
LOVE HOCKEYな人たち<8> 小野太さん
日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。

前回の記事でもお伝えしたように、
一昨日、札幌の月寒体育館では、
「第47回 ・札幌市民体育大会アイスホッケー競技」Aプール決勝戦が行われ、
札幌ポラリスが、札幌大学相手に11−1と大勝!

HNやぎさんが紹介して下さったとおり、
ポラリスの選手は、決勝戦に10人しか集まることができませんでしたが、
それでも格の違いを見せつけて、今大会を締めくくりました。

これで全日程を終了した札幌市民大会ですが、
大変だったのは、裏方として支え続けていた運営スタッフの皆さん。

というのも、今大会には男子A〜Cプール、女子、オールドタイマー併せて、
46ものチームがエントリーしていたため、
朝の10時から夜の10時まで、一日に7試合という日も!

それだけに、試合の記録やアナウンスに、電光掲示板の操作、
さらに、レフェリー、ラインズマン、ゴールジャッジ、ペナルティベンチのアテンダントなど、
試合進行に欠かすことができない裏方の皆さんは、
文字どおり、「慢性ショートハンド状態」だったそうです。(皆さん、お疲れ様でした!)
小野太さん
そんな中、決勝戦も含めて、
レフェリーとしてフル回転していたのが、小野太 さんです。

ホッケーどころの苫小牧で生まれたこともあって、
3歳からスティックを握っていたという小野さんは、
大成小学校−光洋中学校−苫小牧工業高校と、ホッケー 一筋!
高校卒業後は、札幌の専門学校に進学し、札幌で就職した小野さんですが、
苫小牧を離れたあとも、クラブチームでバックを追っていたそうです。

そんな小野さんに転機が訪れたのは、サラリーマンとなって2年が過ぎた時のこと。
会社から東京への転勤を命じられ、札幌を離れることになりました。

「小さい頃から、ずっとホッケーをやってきて、自分のレベルも分かっていたし、
だんだん年齢も上がってきていたから、選手以外でホッケーに携われないか」
との思いを抱いていた小野さんは、
東京に移り住んだのを機に、レフェリーになろうと決意!

「もちろんレフェリーは大変な仕事だし、そんなに甘いものじゃないことは分かっていた」
と言うだけに、指導者や試合の運営スタッフになることも考えたそうですが、
あえて、「甘いものじゃない」道を選択。

その決め手となったのは、こんな思いだったと、打ち明けてくれました。
「小学校と中学校で同級生だった松浦(智哉選手)が、まだ西武でプレーをしていたから、
彼が現役の間に、一緒の氷に乗ってみたい!」

こうして、今から7年前に、レフェリーの道を歩み始めた小野さんですが、
アジアリーグで2年連続ベストレフェリーに選ばれた、川村一彦さんをはじめ、
先輩レフェリーからの熱心な指導と、
「多い時は、年間120試合くらいホイッスルを吹いた」という実戦経験の甲斐あって、
3年目のシーズンには、早くもラインズマンとして、日本リーグでデビュー!

「最初の試合が終わったあとに、高いお肉をご馳走になったんですけど、
全く味が分からなかったですね」
と苦笑いした小野さんですが、デビュー戦の評価は上々。

その後も、トップリーグや関東大学リーグなどで、ホイッスルを吹くことが多かっただけに、
「レフェリー小野太」
というアナウンスを耳にした記憶のあるファンの方も、多いのでは?

そんな小野さんに、昨年の夏、また転機が訪れました。
再び、札幌への転勤が命じられたのです。

以前、小野さんが住んでいた時と違って、
現在では、札幌で行われるトップリーグの試合は、数えるばかり。
しかし、それでも小野さんは、札幌に戻ってもレフェリーを続けています。

昨季のアジアリーグのクリスマス集結シリーズや、全日本選手権はもちろんのこと、
子供やクラブチームの試合も、数多く担当。
さらに、自ら車を運転して、苫小牧の試合でホイッスルを吹くことも、珍しくないのだそうです。

「いよいよシーズンが始まりますね」
今季も、レフェリーとして忙しくなりそうな小野さんは、
大会中に笑顔で話していましたが、新しいシーズンへの備えは万全の様子。

「レフェリーは、選手のスピードについていけないとダメですからね」
と話す小野さんは、仕事で疲れている時でも、ランニングを欠かさないばかりか、
時にはフルマラソンの大会に出場するなど、体力の強化に余念がありません。

小野太さん残念ながら、他のアマチュアスポーツと同じように、
たとえトップリーグの試合であっても、
レフェリーやラインズマンの日当は、その労力に見合ったものとは言えません。
しかし、それでも忙しい仕事の合間に、ホイッスルを吹き続けている小野さんは、
その理由を、こんな風に話してくれました。

「レフェリーがいないと試合は始まらないから、誰かがやらないといけない。
それだったら自分がやろう。
自分は3歳からホッケーをやってきたから、ホッケーに恩返しをしよう。
その気持ちだけですよ」


小野さんだけでなく、自分の時間を削ってでも、
「ホッケーのために!」 とレフェリーを続けている方たちが、
全国には数多くいます。

そんなホッケーを愛するレフェリーの方たちなくして、新たなシーズンは始まりません。
全国のレフェリーの皆さん、今季も頑張ってください!

★本日の小ネタは…
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