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2012.11.15
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Asia League's Foundation Day |
日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。 突然ですが、今日は何の日か、ご存知ですか? 知ってるよ! と言うホッケーファンの方も多いと思いますが、、、 今日11月15日は、「アジアリーグの誕生日」 なのです! 9年前の2003年11月15日に、まず苫小牧で。 続いて1時間後に横浜で、熱戦の火ぶたが切って落とされたアジアリーグは、 今季が10年目。 加藤じろう直営!「語りべ」通信では、 メモリアルイヤーを迎えた “アジアリーグの創設記念日・特別企画” として、 栄えある初代MVPを受賞した ライアン桑原(日本名=桑原ライアン春男)氏の インタビューをお届けしましょう! ──────────────────────────────────────── 「語りべ」: 桑原さんは、日本リーグ時代にコクドの一員になって、日本代表でも活躍され、 その後、1年間だけイギリスでプレーをしたあと、 日本製紙クレインズと、High1(ハイワン)で、アジアリーグを戦いましたけれど、 アジアでのホッケーキャリアを振り返って、いかがでしたか? ライアン桑原氏: ![]() ![]() ![]() 「語りべ」: 日本リーグとアジアリーグでプレーをされて、違いを感じた点はありましたか? 桑原氏: 「語りべ」: 知らない国と言えば、カナダで生まれた桑原さんも、初めて日本へやってきて、 そして韓国でもプレーをされましたけれど、アジアでの生活は、いかがでしたか? 桑原氏: 「語りべ」: 今度はホッケーの話をうかがいますが、 足掛け15年もの間、アジアを舞台に戦ってきて、一番の思い出は何ですか? 桑原氏: ![]() 「語りべ」: 最後になりますが、アジアリーグの今後へ向けて、どのようなことを期待されますか? 桑原氏: ──────────────────────────────────────── 長野オリンピックへの強化の一環として、 1994年に日本リーグのチームに対し、獲得が許された日系外国人選手一期生の中で、 22歳という若さと大きなサイズ。 さらに、モントリオール カナディアンズにドラフト2巡目(全体39位)指名された経歴から、 最も注目されたのが、桑原氏でした。 来日当初は、やや空回りしている様子でしたが、すぐさま本来の力を発揮して、 コクドの優勝に貢献。 日本国籍を取得して、長野オリンピックに出場したのに加え、 世界選手権ではキャプテンを務めるなど、日本代表でも存在感を見せつけました。 2002年にイギリスのチームと契約するも、翌年には日本へ戻り、クレインズの一員に。 アジアリーグ初代王者へ導いたのとともに、自らもMVPと最多得点賞を受賞。 2008年に High1へ移籍し、1年間プレーしたあと、 カナダへ戻って、シニアリーグのチームで2シーズンを過ごして引退。 昨季からは、カナダ・オンタリオ州にある、 Jr.Bクラスのチーム ストーニークリーク ウォーリャーズ のGMに就任。 今季は、同チームのヘッドコーチに転じ、 未来のスター選手たちの育成に力を注いでいる一方で、 プライベートでは、4人のお子さんのパパでもあるそうです。 今回お届けしたインタビューは、 「アジアリーグアイスホッケー・オフィシャルプログラム」用の取材だったのですが、 前述のように、ヘッドコーチに転じたばかりの桑原氏は、多忙を極めていた様子で、 返事が届いたのは、アジアリーグの開幕後・・・。 というわけで、10年目を迎えたアジアリーグの誕生日の特別企画として、 「語りべ」通信で、紹介をさせていただきました。 桑原氏は間に合いませんでしたが・・・、 「2012-2013アジアリーグアイスホッケー オフィシャルプログラム」 では、 これまでアジアのホッケー界を彩った男たちのプレー写真と、 メッセージが掲載してあります。 試合会場などでお買い求めの上、ぜひご覧ください! |
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