日本全国津々浦々のホッケーファンの皆さん、こんにちは。
前回の記事でもお伝えしたように、
今季は、一味違うカンウォンランドですが、
ホームゲームが行われている、ウィアム アイスリンクのスタンドは、さびしい限り…。
しかし、少ないながらも、熱心に応援しているファンの人がいます。
そんな一人が、
シン ・サンヒョプ さんです!
シン ・サンヒョプさんは、
「12歳の時から、プレーを始めました」という、元ホッケー選手。
しかも、今から40年前に、
韓国の大学選抜チームが、初めて日本遠征をした時の主力C F!
延世大学を卒業したあと、
軍隊のチームで3年間プレーしてから引退し、レフェリーに転向。
「韓国のレフェリーでは、一番多くの試合でホイッスルを吹きました」
と話してくれたように、
実に15年もの間、韓国ホッケー界を支え続けてきた人なのです!
そんなシン ・サンヒョプさんですが、
「今季のカンウォンは、外国人が変わって強くなりましたよ」
と上手な日本語で、「語りべ」に話し掛けてくれたかと思うと、
カンウォンがチャンスを迎えるや否や、思わず声を出して、一喜一憂!
というのも、実は、シン ・サンヒョプさんは、
今季から、カンウォンのキャプテンを務めている、
#28 シン ・ウィソク 選手のお父さんなのです!
それだけに、試合中、シン ・ウィソク選手がシフトされると、
ついつい見入ってしまっていたように、やはり息子さんのプレーが気になる様子。
そこで「語りべ」も、「息子さんは頑張ってますね」と声を掛けると、
「上手なDFじゃありませんよ」と謙遜したあと、
「でも、私はC Fだったから、DFのことは よく分かりません。
長男には、色々と教えることもできましたけれど」とポツリ。
「え !? 長男?」
と思って、シン ・サンヒョプさんに聞いてみると、
長男のシン ・ウサムさんも、
延世大学から、実業団チームのトンウォン(既に廃部)へと進み、C Fとして活躍。
2003年に青森県で行われた冬季アジア大会では、
韓国代表のキャプテンを務めたほどの、名選手だったとのこと。
「ホッケーをやりなさいと、言ったわけじゃなかったのですが、
長男も次男も、いつの間にかスティックを握っていましたよ」
と笑みを浮かべたシン ・サンヒョプさんは、
2人の息子さんを、韓国を代表する選手に育てあげた、
まさに、“韓国ホッケー界の父” なのです!
「大学生の時に、初めて日本に行って試合をした時は、
攻められっぱなしで、リンクの片側だけでしかプレーできませんでした(笑)
でも、その試合のあとにも、色々なことを指導してもらいましたし、
その前の年に、日本大学が韓国に来て試合をした時には、
初めてスラップシュートを教わりました。
日本のホッケーのおかげで、韓国のホッケーも成長してきたんです」
と言うように、常に日本のホッケーを目標にしてきたと話す、シン ・サンヒョプさん。
その言葉に続いて、
「1984年まではインドアリンクが一つしかなかったのですが、今は全国にあります。
環境が良くなってきて、少しずつ韓国のホッケーもレベルが上がっていますから、
いつかは、世界選手権(トップディビジョン)に、一緒に出られるようになるといいですね」
との夢も打ち明けてくれました。
しかし、その一方で、
「韓国には、実業団チームが2つ。
大学は5つ。高校も6つしかチームがありません。
もっとチームと選手の数を、増やしていかないといけません」
と韓国ホッケー界の現状には、渋い表情。
それだけにシン ・サンヒョプさんは、
オールドタイマーのチームで、再びスティックを握ってプレーしている傍らで、
「時間を見つけて、高校生の指導の手伝いもしています」
と言うように、63歳となった今でも、韓国ホッケー界を支え続けています。
「韓国のホッケーのためにも、アジアリーグには成功して欲しいですね」
と話し、韓国でアジアリーグの試合がある時は、
カンウォンだけでなく、ハルラのホームゲームにも、
ほとんど観戦に訪れているシン ・サンヒョプさん。
“韓国ホッケー界の父” は、きっとこれからも、
韓国と、アジアのホッケーを支え続けてくれるに、違いありません!